NO.20 2002/04

 
 今、僕は古巣であるフランスのボルドーで仕事中。ここで最初にお給料ちゅうものを頂き、
 指揮者として住んでいたのが、いつの間にか10年も前の話になってしまった。でも10年と
 いうのが長いのか短いのか、一杯一杯いろんな事があった10年だけど、あっという間の10年
 でもあった。
  ここで僕の指揮者としてのキャリアが始まったことを、この街の人達はよく知ってくれて
 いるし、そんな僕の頑張り振りを凄く誇りに思ってくれている。そういう意味でも、ここは
 僕の第二の故郷みたいなもの。みんなの応援が嬉しい限りだ。
  今回はオペラの仕事で5週間もここに滞在できる。旅行ばかりの生活で、1ヶ月以上も同じ
 所に住むのは、ここ数年で、かなり久しぶりのこと。今回は、オペラの他にコンサートもあって、
 後半のコンサートには、急遽、五嶋龍ちゃんの出演も決まった! サン=サーンスの3番の
 コンチェルトを演奏する。きっとみんなビックリするだろうな〜。
  最初のコンサートは先週すでに3回無事に終え、今はオペラの本番に向けて練習中。
 5週間もいられるから、結構ひまな時間ができるかと期待していたのに、日曜日は休みがもらえる
 としても、それ以外は超ハードスケジュール。オペラの練習なんて、朝から夕方までオケの
 稽古して、それから夜中の12時まで舞台稽古があるから、ほんと「力仕事」って感じ。
  でも、オペラはやっぱり面白い! 長い練習をやっているから、まあだらだらと仕事をして
 いるのだけど、こんなにも贅沢に作品に取り組んでいいのかい?と思うぐらい、時間とスタッフが
 与えられている。そして、いつも笑いが耐えない。
  この日記は、たいがい公演が終わってからの感想を書いてきたけれど、今回は本番前の思いを
 書きたかった。このあいだ初めてオケと歌手の合わせをやったのだけど、ここから本番までまだ
 1週間もある! 舞台稽古をオケ付きで4日間もやり、更にGPを2日も行ない、更に更に、
 2日間休んでいよいよ初日を迎える。みんなのピリピリ感も、その頃にはピークに向かう。
 オペラは作品も面白いが、人が集団で作る面白さがまず一番だと思う。指揮者も、演出家も、
 一つの駒になって、みんなで作ること! そう実感できたら大成功! 兵庫で作るオペラは、
  何よりもそれを目指したい。ボルドーのように、そこでしか聴けないオリジナルな物を作りたいと
 思っている。


NO.19 2002/03


  パリ管弦楽団のコンサートも無事に終わり、ホッとする間もなく、僕はイタリアの
 ローマに飛んだ。まだ春らしい天気とは言えないパリとは違い、ローマの空は眩しい
 ばかりに晴れわたっていた。
  曲目は前半に武満徹さんの『レクイエム』そしてビオラの名手バシュメットを迎えての
 モーツアルト『交響協奏曲』。休憩をはさんだ後は、パリ管で、つい1週間前に大好評を
 得たベルリオーズの『幻想交響曲』。オーケストラはもちろん、ローマ・サンタ・チェチーリア
 音楽院管弦楽団だ。
  このオケへの出演は、2回の札幌での演奏会、そして去年のローマでの定期公演と、今回で
 4回目になる。イタリアを代表するこの伝統のあるオケを相手に、既にパリ管で叩き込まれた
  『幻想』のアイデアを頼りに、僕はどんどん要求を出させてもらった。すぐにボーイング
 (弓使い)を変えてみたり、まあ、それはもともとパリ管のアイデアなのだけど、まるで自分が
 思いついたかのように、得意になって見せびらかした! 僕はたいして大物ではないなと実感
 したけど、でもいい音がして嬉しかった。
  しかし、ローマというところは凄い。僕の住むパリは世界一美しいと思っているけど、京都
 生まれ、パリ在住の僕にとって、ローマだけが改めて美しいと思える街かもしれない。どこを
 歩いても古代ローマを感じる街並。大都市でありながら緑が一杯あふれている街。ほんとに
 あまりの美しさにため息ばかり出てしまう。
  特に今回、一生忘れられない思い出となったのは、オケのスタッフの配慮で、休館日の
 ボルゲーゼ美術館を、特別に僕と家内の二人だけのために2時間ほど開けてもらったことだ。
 それはバロックというスタイルの持つ「驚き」の連続だった。音楽にもバロックと言われる
 時代が当然ある。それは歴史的に「古い物」として片付けられてしまうことが多いのだけれど、
 決して古い形を守ることだけではないということを、この美術館でつくづく教えられた。
  ただ、美しい物が周りに一杯ありすぎることは、決して幸せではないことなのかもしれない。
 ローマに限らず京都の人間もそうだろうけれど、そこに住む人達は、先にも書いたように、
 他の街を見てなかなか美しいとは感じないし、それでいてその街の物を、新たな感動を持って
 見ようとはしない。観光客の方がよく知っているというのが現状だ。
  このオーケストラには、また11月に来ることになっている。来シーズンは、トリノのオケと
 3週間、フィレンッエで1週間と、イタリアでの仕事が充実している。


NO.18 なぜか、今頃2001/05

  男たるもの、仕事以外に一つは根性据えて取り組むべきことがあると思う。それが僕に
 とっては「ゴルフ」。好きとか嫌いとかは、もう言っていられない、とにかく、人生
 「ゴルフ」にささげるつもり。はっきり言って、僕にはゴルフの才能はない。人よりよく
 飛ぶこともないし、特別ショットが正確なわけでもない。パットも下手としか言いようが
 ない。だけど、初めてクラブを握ったときから、このボールを追っかけることに夢中になった。
 一日1000発を打つこともある。それを3日間続けて腰も悪くしたこともある。そんな無理
 して上手くなるわけがないのに、それでも練習は裏切らない。必ず後で御褒美がやってくる。
 だから仕事が忙しくたって、ツアーに出ていたとしても、家やホテルの絨毯のでパッティングを
 し、重い練習クラブで素振りをする。僕のゴルフの先生「心の師匠」とお呼びしている
 古市忠夫プロが、最初に僕と会ったとき、「それにしても、よく練習しまんなぁ」と呟いた。
 そう、その時2万円のプリペイカードを(1球8円ぐらい)、2日で使い切っていた。
 だけれど、下手は下手…やっぱり才能がないのかなぁ。
  5月下旬、パリに「5マルククラブ」のメンバーが集まった。メンバーは、フランス代表
 僕とドイツ代表K氏、日本代表H氏とY氏。ヨーロッパチームVS日本チームのチーム戦で、
 3日以上、最低3ラウンドのトータルスコアで勝負する。最初はドイツの5マルクを賭けての
 勝負だったが、そのうち、土下座を賭けての名誉勝負に変わった。前回は、H氏が大事な
 眼鏡をカートのエンジン部分に落としてしまい、雨の中眼鏡無しで空振りの連続という
 ハプニングに助けられ、ヨーロッパチームの圧勝に終わったが、今回も、いろいろ事件があった。
  まず、僕は今回の戦いに合わせて、相当練習を積んだ。そして、ほぼ平均スコアを、80台中
 ごろでまとめるとこまで漕ぎ着けた。一方相棒のK氏は珍しく恋をして、クラブなど握る
 気もなく、練習ラウンド中からほとんど会話は恋の話し…。まあ、何とかなるわと、心待ちに
 日本チームを迎え撃つ。前回の勝利したとき、肩を落とした彼らの後ろ姿を見送った映像が
 今も忘れられない。「今回も、見送るぞ! オーッ!」と、K氏と中華料理で前祝をした。が!
 日本チームもさすが、よくまとめてくる。絶対ドライバーを使わない戦法で、安全第一を死守。
 そのくせ、ゴルフバックには超長い51インチ!(普通45インチ)のドライバーが差し込まれて
 いるから、人間、見得の張る醜さがよくにじみ出ている。ゴルフを武士道と捕らえるなら、
 絶対なりたくない姿ではないだろうか?まるで、腰には長い刀を差しておきながら、
 ヌンチャクですねを殴られたような気分だった。
  僕はというと、午前中こそ、80台で回れるものの、お昼からは疲れが出て、調子がた落ち。
 時には百も超えてしまうありさま。3日目から、そんな僕を気の毒に思ったK氏の提案で、
 試合は午前中だけということにしてくれた。K氏は本当にやさしい。そして、それを了解して
 くれた敵にも感謝したい。と言ってるうちに、K氏がダウン。恋疲れが祟ったか、突然
 ひどい頭痛でお休みモード。それでも、次の日には何とか試合を五分に持っていく。が、
 今度はY氏がダウン。カレーを晩飯に2杯ガツガツ食べたかと思うと、「ごめん、気分悪いは…」
 最後まで元気だったのは、H氏のみ。あぁでも、彼も右足を引きずっていたっけ?
 …2年に一回は開かれる5マルククラブ。いつの間にか皆40歳ぐらいになった。病気もし、恋もし、
 離婚もし(皆ではないけど)、それぞれ厄年を迎えようとしている。
  昔のように、1日2ラウンド半、一週間連続なんて、もう夢のよう。お互いに身体に気遣い、
 元気でやれていることに感謝しながらも、それぞれが尊敬できるライバルでいたい。だから、
 ゴルフはいろんな事を教えてくれる。そして、40才になっても子供の頃に戻れる。
  さて、結果だけど、ヨーロッパチームは最終戦で挽回できず、無念の土下座をすることになった。
 本当は、ここにその写真を載せるという約束があるのだが、残念ながらその写真は僕の手元にない!
 本当にない! 絶対無い! そんなものあるはずも無い!


NO.17 2002/03


  2年半ぶり、パリ管弦楽団の指揮台に登場。今回はベルリオーズ作曲の『幻想交響曲』が
 メイン。何しろ、パリ管の十八番中の十八番、ミュンシュ、カラヤン、バレンボイム、
 エッシェンバッハと、代々の音楽監督がその音を守ってきた曲だ。パリ管が創設された時に
 ミュンシュが記念に録音したのもこの曲だ。
  僕にとってもパリ管でこの曲が指揮できるというのは一つの夢が実現したようなもの。
 実際、練習の時からかなり勉強になった。もちろん僕にとっても、もう何度も指揮してきた
 曲なのだけど、そこに鳴っている音は、やはりCDで聴くのではなく実物の凄さがあった。
 まるで、ミケランジェロの傑作を、美術図鑑で見ていたのが、ヴァチカンの美術館で目の
 あたりにしたような気分。
  特に弦楽器が素晴らしく、色が一杯あって、ピチカート一つをとっても絵を見ているよう
 だった。弦楽器が素晴らしいのは、個々の技術が高いのはもちろんだけど、やはり練りに
 練られたボーイング(弓使い)に企業秘密がある。ボーイングは、普通は下げ弓と上げ弓が
 交互にくるのだが、時々、はっとさせられるようなボーイングで彼らはやっていた。例えば、
 ずっと上げ弓ばっかりを使ったり、かなり細かく弓を返したり、僕も練習前に各パート譜を
 チェックしていたから、この企業秘密はしっかりと僕の楽譜に写させてもらった。これは
 大事な宝物ね。いつかこれを使って兵庫のオケで『幻想』をやろう!
  しかし、今回は長いプログラムだった。『幻想』ができるというのはとても嬉しいこと
 だったけど、それとひきかえに、そうとう長い第一部が用意されていた。まずベルリオーズの
 序曲『海賊』それから、テノールのヴィンソンコールを迎えて、シューベルトの『魔王』
 ベルリオーズ編曲版。続いて『魔王』リスト版。この二つの編曲版はとっても面白かった。
 あの有名な、そう小学校の時レコード鑑賞で聴いた『魔王』が、二人の鬼才の手によって、
 まったく違う形になって、ピアノ伴奏では出ない恐ろしい世界が実現できた。
 さてさて、更に続いてベルリオーズ作曲『オルフェの死』世界初演ではないにしても、かなり
 珍しい曲。かなり古くに録音されたものがあるそうだけれど今回は発見できず。ベルリオーズ
 24歳の作品だそうだけど、まあ誰も知らん曲をやるのは、プレッシャーもあり、やり甲斐もある。
 ヴィンソンのソロと、二つの女声合唱が入った大曲。
  しかし、一部はまだ続く。もう一曲はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲1番。何で、
 ここでプロコフィエフやねん!? 多分これが最初に決まってて、後からベルリオーズにアイデア
 が変わったんやろうな。とにかくこれが終った時点で夜の9時半。『幻想』が一時間弱だから、
 休憩後『幻想』を相当快速テンポで演奏しても、終ったのはほとんど夜11時!
  若い指揮者のみんなにここで強く言っておく。仕事をするということは、コンクールに優勝より、
 ずっと大変だと言うこと! でも、このパリ管の音と、演奏会の拍手、みんなに聞かせたかったな〜。

 

NO.16 2002/03

  今年もまたミラノ響との仕事が始まった。今回は2週間、2つのプログラムで6回演奏会を
 することになった。
  どれもがいい演奏会だったと思う。ミラノ響らしい、開放されたのびのびとした音だった。
  公演中、僕の休みも利用して、かみさんの妹家族がミラノに遊びに来た。彼女の家も旦那の
 仕事の関係で、昨年からドイツに転勤している。双子の男の子がいて、僕のことを「に〜に」
 と呼んでくれている。
  一見かわいいのだけど、これが調子にのると、まあ凄い! 小さな快獣に早変わり。だけど、
 やっぱりかわいい子供には何をされても勝てない。
  義理の弟と僕はバーで飲んだくれ、かみさんたちは買い物に行き、それぞれストレス解消も
 思いっきりした。
  とにかく、ドイツにいる彼らに、美味いものを食わす使命に燃えた僕は、今までの情報を全て
 集めて、彼らをフォアグラ状態にしてやった。
  彼らのことは出てこないけど、そのグルメ情報に関しては、今後発売される『ミセス』の僕の
 エッセイを見て欲しい。


NO.15 2002/01

  ラムルーとの定期演奏会、ソリストには、大型新人、樫本大進君の登場だ! まだまだ若い彼だが、
 ほとんどの人生を海外で育ってきた。今も彼のご両親はロンドン、そして彼は、ドイツに住んでいる。
 僕との初顔合わせは、爽やかな挨拶で始まった。
  あたりまえのような話だが、ちゃんと挨拶できる人が最近少ない。こんなことを書くと、“僕も
 歳をとったな〜ぁ”と思うけど、仰々しくなく、それでいてその人がわかる挨拶、大事なんじゃない
 かなぁ。
  曲目は、チャイコフスキーの名作ヴァイオリン・コンチェルト。まず、1楽章を合わせたんだけど、
 最後の最後で、僕がアクセルを全開。「かなり、早いっすね!」と大進君。「いいじゃん、
 かっこいいもの」と僕。「あのさ、オケをバンバン鳴らすからさ、悪いけどオケがうるさくて、
 ヴァイオリンは聞こえないからさ、適当に弾いといてもらって、二箇所オケが無くなるとこあるでしょ? 
 そこで、チュクチュンって感じで、エレキギターを弾くみたいに決めてよ!」と続けて僕。
 もう一度返すと「やっぱりかっこいいですね!」と大ちゃん。そんなコンビだから、本番も上手く
 いかないはずがない。スリリングな演奏は、超満員(当日200人ほどが、入れず帰られたらしい)は、
 大いに盛り上がった。
  後半は、僕の得意のフランクの交響曲。この曲、名曲なのにあまり演奏されない。ここフランスでも
 そうで、僕が生涯で一度だけ生で聴いたのは、セルジュ・ボド指揮、京都市交響楽団の定期演奏会。
 かなり僕が子供の頃だったと思う。その演奏が名演で、それ以来、僕の大好きな曲。
  まあ、あまり演奏されないことには訳があると僕は感じている。理由の一つ、それはスタイルが
 あいまいに感じるところ。ドイツ的でもあり、フランス的でもあるという混乱。例えば、ずっと一定の
 テンポで演奏をしたとしたら、構成感は出るが開放感はない。だからと言って、楽譜に細かく、
 「ここはたっぷりと」などと書かれているわけではない。世界的に、どのオケも指揮者の指示には従う
 (ことになっている)。が…、それはあくまでも楽譜に書かれている事が基準で、そう言葉や記号で
 書かれてないことに関しては、相当指揮者に説得力があるか、奏者に想像力があるかが問われる。
  ラムルーと僕が10年近くにも渡って築いてきたもの、それは「信頼感」。それがあるからこそ、
 相当細かいテンポのゆれにも、彼らは見事について来てくれた。演奏を終え舞台裏に戻ったとき、
 事務局長のジャン=リュックは、相当興奮して、「今までで、最高のコンサートだった!」と僕に伝えた。
 「いや、次の公演が、きっとベストだよ!」と僕はウィンクをして答えた。
  エキストラとしてではあるが、3年間PMFに参加し、今、シュトゥットガルトでティンパニーを専門に
 勉強している、福原亮君が、今回の演奏会で大健闘をした事も皆さんに報告しておく。



NO.14 2002/01

  初めてドイツの北東の街、ドレスデンにやってきた。この地方は、旧東ドイツに属し、
 「ザクセン」と呼ばれる地方で、ドイツの中でもすこぶる「愛想がない人達」ということで評判が
 悪い・・と、いろんな人から聞いていた。が、しかし、なぜか僕が出会ったこの街の人々は、物凄く
 親切、思いっきり感じがいい。初対面のオーケストラ、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団も、
 とても気持ちがいい。フォーレの「ぺリアスとメリザンド」や、ラベルの「ラ・ヴァルス」など、
 かなり細かい練習を要求したにもかかわらず、大変気持ちよく仕事を終える事ができたし、何しろ
 2400人も入るコンサートホールが、二日間も超満員の聴衆で埋まった。そして、惜しみない拍手、
 大きなブラヴォ−!また呼んでもらえるなら、是非来たいと思った。
  演奏会のできのよさ以外にもう一つ、気持ちよくここでの滞在を過ごせた理由は、とってもいい
 ホテルに泊まる事ができた事。そして、ここには、すばらしい日本レストラン「小倉」さんがあった
 ことだ。最後のコンサートの後は、オケの事務局長の主催でイタリア料理だったけど、それ以外の
 全ての食事はここですませた。ここの5倍のお金を払ったとしたら、パリでももっといい日本料理を
 食べることはできるだろうけど、こんなに安く、そして一つ一つ心のこもった料理をドレスデンで
 いただけるとは思いもしなかった。きっと、相当な努力をされて、すばらしい材料を集めておられる
 ことだろう。何しろ、ここはドレスデンなのだから…
  お客さんに、「美味しい」と思ってもらいたい、ただその思いだけがいっぱい詰まった、決して
 「高級」レストランではないという誇りをいっぱい感じた。まさしく、僕のコンサートのあり方と同じだ。
 僕は偉そうにも、オーナーの小倉さんに、「佐渡裕、桂冠料理人」の称号を授けた。



NO.13 2001/06

  久しぶりに日記を更新することにしたんだけど、何しろ、一年近くも前の話に戻らなきゃいけない
  なんて、更新と言えるのかどうかわからない。最近、僕の近辺はいろいろあわただしいから、まあ、
  回想録のように、できるだけ大事なことには触れていこうと思ってる。
  更新が止まってしまった一番の原因は、6月から行なった『キャンディード』。すばらしい仕事
 だったのだけれど、これがかなり難産だったことが大きな原因だ。なにしろ、話の筋がややこしい。
 ややこしいだけでなくて、面白く深い。今思えば、まず演出家、宮本亜門さんに大感謝!本当に楽しく、
 飽きさせない、すばらしい舞台を作ってくれた。そして、彼をとても僕が評価しているのは、本当に
 的確な目で、それぞれのキャストを人選し、それぞれを生き生きと使ってくれたこと。もちろん、
 僕もオーディションには参加したし、音楽的に満足ができるよう、亜門さんと相談しあったのだけど、
 それにしても、いい人達が集まった。
  これは、大きな挑戦だった。オペラ歌手、ミュージカルスター、そして、ダンサーに、役者、
 もちろんクラシックのオーケストラ、それぞれが、それぞれのジャンルを越え、共同作業をしなければ
 いけない作品。出演者からも、何度も「この作品はオペラなんですか? ミュージカルなんですか?」と
 言う質問がよせられた。答えはそう、質問した彼らも、今となってはきっと僕の答えと同じ事を言うだろ
 うけど、これは『キャンディード』であって、オペラでもミュージカルでもない。
  長い稽古の間、ずっと音楽をピアノで弾いてくれていたのが、親友、白石准。彼の仕事は、もちろん
 オーケストラの音を、ピアノで奏でることなのだけど、僕の音楽的な思いを歌手に伝えるだけでなく、
 オペラ歌手と、ミュージカル歌手の間に立って、常にみんなが同じ方向を向けるよう、いい練習環境を
 作ってくれた。一日何時間もピアノをオケのように弾くだけでも重労働なのに、歌手達に、精神的にも
 大きな勇気を与えてくれたことは、僕にとって物凄く彼に感謝をしたいことだ。彼は、実際の本番には
 登場しないのだけど、最後のピアノ稽古を終えた時、僕はみんなの気持ちを代表して、彼に花束を贈った。
 そして、彼は全ての関係者の為に、ピアノのソロを弾いてくれた。客席にはほとんどスタッフしかいな
 かったけど、ステージでは、全ての出演者が、彼の美しい音に耳を傾け、演奏が終った時、大きな拍手と
 「ありがとう!」の掛け声が飛んだ。
  多くのスタッフの思いが詰まった初日だった。不安と期待。だれも自信なんてものは、まだこれっぽち
 も感じていなかった。だけれど、序曲が始まり、ステージの上のみんなの目と、ピットの中の僕の目が
 合うたびに、それぞれの心は一つになり、音は一つになった。そして、すばらしい音楽、それを書いた
 バーンスタインがその場にいることを、僕たちはお客さんと共に実感していくことになる。
 スタンディング・オヴェーションでこの初日は終えた。僕は、この喝采がレニーに贈られているのだと思った。
  長い公演が終わって思うことは、この亜門さんと僕との挑戦が、今ごろになっていろんな形で現れて
 いること。それは、「今までオペラなんて聴かなかったのですが、“キャンディード”を聴いてオペラ
 にはまってます」あるいは、その逆で「ミュージカルにはまってます」などの声が、『キャンディード』
 に来てくれたお客さんから聞こえてくること。そして、今、「テロ」という出来事を知った今こそ、
 「メイク・アワ・ガーデン・グロウ」(我々の畑を耕せ)と言うこの舞台の終曲が心に深く響いてくる。


NO.12 2001/05/13

 
ほーっ、40歳になりました。21世紀を迎えた時と同じようなもんで、まっ、「エフジュウ」かって
 感じですね。
  でも、ありがたい話ですよ。元気にこの歳を迎えられたし、みんなからは一杯お祝いの言葉を
 もらうし、ボルドーのオケはハッピーバースデーを演奏してくれるし(僕は、マラ3を指揮したつもり
 だったけど...)、それに、まだまだ親も元気でやってくれてるしね。
  昔は、早く歳を取りたかったなぁ。何しろ、指揮の仕事についたのが、20歳の頃で、周りはみんな
 年上だったから、早く認めて欲しくて、いつもそう思ってた。
  実際40歳になると、まだまだできてない事が一杯あって、「もうちょっとしっかりしなアカンで」
 とも思う。
  でも、30歳になった時は、むちゃくちゃ焦ってた。そういうのは今は無い。その時は、コンクールで
 一等賞をとった時だったし、自分自身に問い掛けてばっかりいたんだろうね。「おまえに何ができる?」
 って...。
  でも、何も身体に身についてないのに、問いただしたって、何も結果は出てこなかった。それに、
 結局、30代は自分のことを考える暇もなく、ただ自分の前に与えられた課題を、せっせとやりこなし
 てきたように思う。
  そう、だから40歳になったから、正直に生きようと思ってる。無理をしないで、結果だけを求めず、
 面白いことをね。
  今は、何年も先まで仕事が入っているけど、どこかで大きな休みを作ろうと思ってる。別に充電とかって
 感じじゃなくて、ちょっとおもろい事をするのに、時間がかかるかなと思ってるわけ。
  興味を持つこと。試してみたいと思うこと。試すための勇気を持つこと。この三つの言葉があれば、
 かなりおもろい事ができますよ。
  よし!厄祓いに行くぞ!



NO.11 2001/05/04

  ちょっとしたことだけど、ミラノでの2日目のコンサートも大成功で終った。一昨日、ミラノの
 日本人学校の生徒さん達に講演会をやったから、たくさんの日本人の方が来てくれた。楽屋は日本人で
 一杯。写真をとったり、サインをしたり。父兄の皆さんからも今回の講演のお礼にと、入浴剤などの
 お風呂セットまで頂いた。
  終演後、かみさんと近くの中華料理に行った。これがなかなか美味いところで、ここの焼餃子は、
 京都の王将といい勝負だ。またまた、腹いっぱい食って、帰る頃になると雨が降っていたのでタクシーを頼んだ。
  「5分で来ます」との事だったが、結局30分待ってもタクシーは来なかった。公演の後ということもあり、
 5月なのに寒く、しかも雨で、かなり疲れが出てきた。「これやから、イタリアは困る」と、イタリア人の
 いい加減さに、二人でしょんぼりしていると、その中華料理屋から、他のお客さんが出てきた。
  彼らは店の前に車を止めていて、なんと「もしよろしかったら、乗っていきませんか?」と僕らに
 声をかけてくれた。そしてホテルまで送ってくれた。ありがたい!
  これだからイタリアは面白い。