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NO.10 2001/05/02
ミラノです。そして、今日は大変な一日でした。と言うのも、朝からまず日本人学校の生徒を50人、
父兄や引率の先生方も含めて約100人、演奏会をするオーディトリウムに招待し、講演会をしました。
僕が入り口でみんなを迎えたんだよ。みんな、とても気持ちのいい子供達だった。
音楽の話し、指揮の話し、才能の話し、あっという間に2時間ほどが過ぎた。みんなを、
今日演奏会をする、ステージに上げてあげて、それぞれ、オケの椅子に座ってもらった。質問も、
子供達から一杯飛び出して、きっと、彼らの記憶に深く残る事ができたんじゃないかと思う。
お昼は、明日からの定期演奏会のための練習。それが、練習前に、オケのメンバーがバイクとの
接触事後をおこし、クラリネットとファゴットが欠席。今日は、夜にコンサートもあったので、急遽、
他のメンバーが、ぶっつけで出ることになた。
この演奏会、「ディスカヴァリー・コンサート」と言うんだけど、前半は、僕がイタリア語で
ベートヴェンの交響曲7番について話しをしたんだ。
自分でテキストを作って、もちろん、ここ数日、イタリア語をしゃべることで頭が一杯! 毎日
「マンマ・ミーア!」と叫びながら、練習をした甲斐あって、凄く受けたみたい。特に嬉しかったのは、
オケのメンバーが、いいムードを作ってくれて、誰よりも僕が作ろうとする世界に、彼らが率先して、
お客さんを引き込もうとしてくれたこと。
第二部で、全曲を演奏するんだけど、終わった時は、凄い拍手で、アンコールをしないことにブーが
出たぐらい。
今ホテルに帰ってきて、なんか、ものすごく疲れたけど、とにかく、長い一日。そして、
わけわからんけど、ワーッと何かを創ったって感じが懐かしいような、不思議な満足感。
NO.9 2001/04/25
4月の終わり、ケルンにある“ギュルツニッヒ”と言うオーケストラに客演に行った。このオケは、
普段はオペラをやっているオケで、シンフォニーをやる時、この名前に変わる。
最近、ドイツの仕事が充実してきた。ここ数年先には、ドレスデン・フィル、バンベルグ響、
シュトットガルト放送響、バイエルン放送響、ハンブルグ・オペラフィルなどが予定に入っている。
久しぶりにドイツのオケを振ってみて、やっぱり、僕の身体にはこのドイツの音が身体のどこかに
染み込んでいる様な気がする。
そして、何よりも暖かい聴衆。フィルハーモニーで3回のコンサートも、多くのお客さんが来てくれた。
終演後、緩やかに始まる拍手。そして、まるで人が変わったように与えてくれる、2回目のカーテン
コールでの声援。
前にベルリンでも感じたことだけど、やはりドイツには、学ぶべき音楽環境がある。
もう一つ、ケルンでの嬉しい話。それは、大学時代の大親友達に再会できた事。
一人は、ケルン放送のメンバーで、僕が最も尊敬している人間。僕とは小学校からの知り合いで、大学の
先輩でもあった。
僕がウィーンで勉強をしていた頃、彼からは何度も「ケルンのオケに紹介したるから、経歴などを書いた
書類を送ってこい」と言われていた。けど、僕にも売れてないなりに意地があって、「ありがとう」とだけ
言っといて何も送らなかった。どうしても、自分の力で、このケルンに来たいと思ってたからだ。
もう一人は、今、オルデンブルグという街の劇場で吹いている大学の同級生。350キロの遠路を車で飛ばして、
僕のケルンの演奏会に来てくれた。
僕らは、よく、この3人で大学時代に遊んだ。それぞれ違う道ではあるけれど、今も、お互いを認め合う事が
でき、尊敬し合えると言うのは、本当に嬉しいことだ。
ドイツに乾杯! 親友に乾杯!
NO.8 2001/02/18
ミラノの公演も無事に終え、かみさんと友人を連れて、ミラノからそのまま、3泊4日のイタリア旅行へ!
まずは、カーニヴァルで賑わうベニスへ。今回は、レンタカーで行くつもりが、ありがたいことに、ミラノの
オケが車を貸してくれて、交通費は安上がり!
それにそれに、ベニスでの宿も、友人がアパートを貸してくれることになった! ありがたい続きで、本当に
人に「世話になって生きてんなぁー」って実感。
ベニスに2泊した後、5時間車を飛ばして(ほとんど、平均時速180キロ!)ローマへ!
とにかく、ローマをかみさんに見せたかった僕は、僕が連れて行くところ以外は、よそ見をさせず、スペイン階段
(オードリヘップバーンが、アイスクリームを食べたところね)、トレヴィの泉、ヴァチカンでローマ法王の式典を
見て(たまたま、ラッキー!)、ヴァチカン美術館(これも、最後の審判があるシスティーナ礼拝堂へ直行)、
パンテオン、コロッセオ、フォロロマーノ、真実の口、もう一度ヴァチカンに帰って大聖堂の中と、よくここまで
完璧に見せれたなと言うぐらい、たった半日でローマの街を走り回った。
なぜなら、その日にフィレンツェに宿をとっていたし、次の日にミラノからパリに飛行機を乗らなければ
いけないから、今日中に300キロは走っておこうということだった。
夕方には全てを見終わって、晩御飯はフィレンツェで食べれると思ってたんだが、車の中で、オケの事務局長の
ルイージの言葉を思い出した。
「ユタカ、時間があったら、絶対シエナに行くべきだ。僕は、仕事を引退したら、余生をシエナで過ごすつもりだ」。
まだ、晩御飯までに時間があった僕らは、その美しいであろうシエナの街へ、少し寄り道をすることにした。
高速道路を降り、少し山道へ。外はものすごく綺麗な田園風景。そしてやわらかい夕焼け。少々道も迷ったが、
美しいであろう街シエナへの期待で一杯だった。
シエナに着いた! だけど、外はすでに真っ暗。「そうだ、トスカーナ料理だ!」と思ったけど、地図も持って
いないし、何しろ、どこが街なのかよくわからないから、レストランが見つからない。
「う〜ん、これはもう諦めて、フィレンツェに向かうか?」。僕の意見にみんな賛成だった。そして、シエナの
街を出た瞬間、大悲劇が起こった!
車の冷却水の温度計が、急にどんどん上昇している。あっという間に130度をさしているので、すぐにガソリン
スタンドに入った。夜の8時きっかりだったから、僕は、きっとその時間に家に帰るはずだろうガソリンスタンドの
修理屋さんをひっ捕まえて、とにかく、直してもらえるようできる限りのイタリア語で訴えた。
「こりゃ、無理だよ。あんたら、今日はシエナに泊まりな!」と彼は一言。
え〜っ! でも、もう、しかたが無い。「ホテルは、そこを100メートルほど行ったらあるからさ」
とにかく、荷物も危ないから大事なやつは持って、ガソリンスタンドが面している国道を、3人でごろごろと、
でもできるだけ明るく!(努力をして...)そのホテルまで向かった。が、満室。ホテルのおばちゃんが
言うには、ガソリンスタンドの反対側にまたホテルがあると言うので、また荷物をごろごろしながら、
とにかく国道を歩く。が、再び満室。
結局タクシーを呼んでもらい、運ちゃんにどこかホテルを紹介してもらった。何もかもイタリア語でしか通じない。
でも、何とかなるものだ、ほんと。
「よし、それなら、もう開き直って、トスカーナ料理だ!」と、僕らはこの悲劇をぶっ飛ばすつもりで、
激腹空き状態の食欲を満たすことにした。
が、どこも既に閉まってた…。開いていたのは、中華料理。もう、終いには何でもよくなって、この中華に行く
ことにしたのだが、これがまた、限りなく変な店。チャーハンはケチャップ味だった...。
さすがにちょっとめげた。同時に、日本の“シエナ・ウインド・オーケストラ”のことも思い出した。
「よし、今度のシエナとの練習では、思いっきり絞ってやろう」強く心に誓った僕だった。
次の日の朝、一番にガソリンスタンドへ向かった。「ウォーターポンプがいかれてて、交換しなければいけない」
(どうも、そのようだ…)オケに電話でこのことを伝え、急遽列車でミラノに向かうことにした。
列車は快適! 3人で、ずっとトランプをして、まるで修学旅行のようだった。ミラノの駅には、申し訳ないと
思ったのか、オケが用意してくれた、随分と立派なベンツのリムジンが止まっていた。
飛行機への時間もまだ十分にあるし、アルプスの山を背景に、飛び切り大きな夕焼けが、この旅行のエピローグを
見事に演出してくれた。
まあ、いろいろあったけど、最後にはなんか大きな満足感を与えてくれるところイタリア。
「いい旅だったなぁ」と、飛行機に乗るための身体チェックを通った時、ピンポ〜ン♪ うン?
なんと、僕のポケットには、シエナに置いてきた車の鍵があった…
NO.7 2001/01/26・27・28
パリからフランス版の新幹線TGVで西へ2時間。ブルターニュ地方に差し掛かったあたりに、
ナントという街がある。はっきりとした数字は知らないけど、街の大きさからすると、フランスで
10番目ぐらいの規模の都市ではないだろうか。そんな田舎町(パリ以外は大した差はないけれど)に、
フランス最大と言ってもいい音楽祭がある。「フォル・ジョルネ」と名づけられたこの音楽祭は、
たったの三日間だけの音楽祭だ。僕は、ここに今年で三回目の出演となった。
しかし、その三日間に、海外からのオーケストラも加え、フランス国立管弦楽団や、ボルドーの
オーケストラ、リールのオーケストラ等、国立のオケが集まり、朝から晩まで演奏会を続ける。それも、
大、中、小の各ホールで、それぞれいろんな種類のコンサートから、講演会、 CDの販売から、
楽器や楽譜の展示即売など、いろんな音楽の催しで、たった三日間の開催だけれど何万人もの音楽ファン
で賑わう。
まあ、実際に演奏会をするほうは大変で、一人平均4〜5回は演奏会をするし、しかも参加アーティストは、
千人を軽く超えているのではないかというとんでもない数だ。ゲネプロ(演奏会前の総練習のことね)
なんて、ほとんど無いようなもので、演奏会が終わったら、すぐに次の出演者が袖に控え、
お客さんも次の公演のためにいったん会場を出て、また並ぶわけである。
朝の9時から夜の12時まで、本当に一日中丸々音楽祭なわけで、それをフランスのテレビやラジオが
生中継はするし、出るほうも、「音楽のスパーマーケットみたい」と愚痴もこぼしながらも、熱心な聴衆と、
他の出演者のライバル意識も手伝って、なかなか白熱した演奏が繰り広げられる。
舞台裏もなかなか楽しい。というのは、この時に、特にフランス国内で活躍しているいろんな
ミュージシャンにほぼ全員出会えるからだ。僕は久しぶりにロシアの天才ヴァイオリン奏者、
ヴァディム・レーピンに会った。彼とチャイコフスキーをやったのは、もう4年も前の話になる。
他にも昨年フランス国立で一緒に共演したピアニストのミッシェル・ベロフや、「ビオラジョークを世の
中から減らした男」と呼ばれるビオラ奏者、ジェラ・コッセなど、みんなで食事をしたり、
休憩時間に酒を飲んだりと、それぞれの活動を報告しあったり、わいわいがやがや賑やかだ。
ここまで音楽祭が盛り上がるのは、やはり音楽の本場ヨーロッパだからこそと思われるかもしれないけれど、
僕はそうは考えない。これはやはり仕掛ける人間の発想が面白いからだ。例えば、仮に大ホールでの大きな
オーケストラの公演を、全部聴いたとすると、その人は今回のテーマ「ロシア音楽」を、いろんなオーケストラと
指揮者で、何回かずつ同じ曲を聴くことができる。例えば、「春の祭典」を、同じ日にリールのオーケストラと
ボルドーのオーケストラが演奏し、聴く側は聞き比べをするわけだ。プログラム全体のバランスも良くできていて、
全部とは言わないけれど、大概のロシア物をカヴァーしている。また、ロビーでも所狭しと、仮のステージが作ら
れており、地元の吹奏楽団のコンサートがあったり、合唱団あり、音楽院の学生のアンサンブルありので、
身内の応援も含めた聴衆は異様な熱気に包まれている。
毎回ここに来るたびに、僕もいつかこんな音楽祭を、日本のどこかでしたいと思っている。
人のためのホール作りを、街も、そして奏者も、もちろん足を運ぶお客さんも、もっともっと実感して
いけるよう真剣に考えていきたいと思っている。
NO.6 2000/11/18
久しぶりのロンドン。今回は観光でもなく、レニーのアシスタントでもなく、自分自身がロンドン・フィルの
指揮台に立つために来た。約10日間の滞在。パリと1時間の時差のせいか、すぐに日が暮れる。それに毎日雨が
降るから、結構気がめいる。
仕事は快調。とにかく爽やかな音がするオーケストラだ。
休みの日は、朝から思いっきり買い物と観光。今回の散財は、“タンタン”のフィギュア。“タンタン”は
ベルギーの漫画のキャラクターだけど、僕はこのフィギュアを集めている。今回のロンドンのタンタンショップ
でも、顧客カードに、しっかり「コレクター」と書かれてしまった。
ファッションも、やっぱりロンドンは面白いね。特に今回感心したのは、いわゆる“メイド・イン・イング
ランド”がとっても元気だ。バーバリーも、スコッチハウスも、今までの伝統の上に立ちながら、それでいて斬新。
センスのよさが光ってた。この辺でも散財。
夜は『キャッツ』に行った。僕はロンドンでの『キャッツ』は3回目。久しぶりに聴いたら、結構いろんな
音楽からのパクリに気がついた。でも、やっぱり好き。会場に入っただけでわくわくするからかな。
昔レニーにくっついてロンドンに来たのが1990年。共同トイレ、共同シャワーのホテルに泊まり、うまいこと
隣の高級ホテルの朝食バイキングにもぐりこんで、毎日、ただ飯食ってたなぁ。
今回は自分の指揮台だからね! 10年かかったか…
NO.5 2000/11/15
ジャズトランペッターの原朋直さんが、12月にシエナ・ウインド・オーケストラと行う公演のためにパリの僕の
自宅まで、5泊6日で合宿に来てくれた。
この人、本当に面白いよ! 彼がシエナで吹くことになったわけは、僕が彼のライブに行ってほれ込んだのがきっかけ。
とは言え、ジャズ屋にクラシックを吹かせるのは、相当なチャレンジ。僕も言い出しっぺだし、その責任をとって、
原さんとはほぼ半年間の特訓をしてきた。
何回か会うごとに、確実に成長してくれた原さん。いつかジャズの世界を背負っていく彼が、今の若いころに、パリで
僕と合宿してたって話、なんか素敵でしょ!
きっと、12月はいいコンサートになると確信しています。
NO.4 2000/11/04
財政難でバタバタした、昨年のラムルー管だったけど、大々的な救済キャンペーンの甲斐あって、今年から
フランス最大手銀行ソシエテジェネラル銀行がスポンサーについた。
また、この銀行がラグビーのスポンサーでもある関係から、フランス対オーストラリア戦に招待される。
会場は、ワールドカップで有名になった、フランススタジアム。8万人の観衆は凄い熱気。
もちろん応援するのは、見てのとおりフランス・ナショナルチーム。しかし、今回は応援の甲斐なく、惨敗。
NO.3 2000/10/23
フランス国立管弦楽団とギリシャに行く。なんか綺麗なんか汚いんかようわからん国。でも、やはり
アクロポリスの神殿は凄いわ。僕も、京都に生まれて古いものに囲まれて育ったけど、パルテノン多摩やなくて、
本物のパルテノン神殿やで! なんせ5000年の歴史やからなぁ。それと、オリンピックが最初に開かれたとこ
ちゅうともっとぴんと来るかも知れんなあ。写真は、第一回目のオリンピック会場。
公演も大成功! フランス国立管弦楽団とは、いつもいい本番が続く。それぞれのソロがうまく、この時のボレロは
凄かった。太鼓のソロをとったのは、元ラムルー管弦楽団のエマニュエル。彼にフランス国立管弦楽団に入って
「よかったなー」と言ったら、「今度シカゴ交響楽団のオーディションを受けるんだ!」だって。グッドラック!
NO.2 2000/10/05
パリのアパートを引越しした。これでパリだけで4つ目のアパート。引越し貧乏とはよ く言ったもので、
いろいろと物入りだ。今までは、いつどこに引っ越すかわからなかったから、すぐに動けるようにたいした
家具もなかったけれど、ちょっと今回から、本格的にパリに住み着く覚悟だ。
そうなると、やはり気に入った家具が欲しいし、くつろげる空間をどう演出するかと、毎日が楽しい。
お気に入りはサロンで、まるで展望台みたいだ。夕方から夜にかけて、本当に自然の名画を堪能できる。
大都会パリの中では、相当珍しい景色だと思う。
それでいて、凱旋門まで車だと10分、アパートの向かいには美しい競馬場があり、なんとその中にはゴルフの
打ちっぱなし場がある。
美しい景色に囲まれ、ゴルフの環境も整い、これで少しゆっくりと、パリに住むことができれば、またいい音が
生まれることだろう。
NO.1 2000/09/30
いろんな方の協力を得て、新しくホームページの準備がすすんでる。
太田朋ちゃんの挿絵も入って、凄く気に入っています。
この佐渡日記、気が向いたら更新していく予定です。地球の反対側のヨーロッパでの生活のこと、
また普段僕が何を考えているか、趣味のゴルフのことや、もちろん音楽のこと、話題満載でお届けします。
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